「時代に追いつかれてしまった。だから、また一歩先を目指そう」。ベテラン社員たちが語る、ヤシノミ洗剤の「これまで」と「これから」。
突然ですが、「ヤシノミ洗剤」をご存知ですか?
すぐにはピンとこなかった方も、写真を見ればおそらく、「あっ。あの洗剤ね」となることでしょう。
人によっては、「環境にやさしいあの洗剤ね」と感じられるかもしれません(もちろん、長くご愛用されている方も多いと思います)。
実はこのヤシノミ洗剤、今年で誕生から50年を迎えます。――50年。それはとても長い年月です。簡単には想像できないほどに。
申し遅れました。日用品愛好家の渡辺平日といいます。今回、「誕生50周年」を記念し、ヤシノミ洗剤に携わる方々へのインタビューを実施する運びとなりました。
日用品愛好家 渡辺平日 毎日が平日のつもりで、日夜、せっせと文章を書いています。趣味は町歩きと物件探しと民話収集。そういう話題が耳に入ると、反応して振り返ります。現在、「LaLa Begin」や「北欧、暮らしの道具店」などでエッセーを連載中。
Twitter:@wtnbhijt
この企画は、「どういう人たちが、どういう思いで、ヤシノミ洗剤をつくっているのだろう?」という、ごく個人的な疑問からスタートしたものです。
インタビューは3回行う予定で、1回目はベテランチームの皆さんに、2回目は中堅チームの皆さんに、3回目は若手チームの皆さんに語っていただきます。
――こういう断定的な表現は好みではありませんが、あえてこう言わせてください。「このインタビューを読めば、きっと、ヤシノミ洗剤のファンになる」と。
渡辺ベテランチームの皆さん、今日はよろしくお願いします。今回は世代交流も兼ね、若手チームの皆さんにもオブザーバーとしてご参加いただきました。若手チームの皆さんには、3回目でたっぷりとお話しいただく予定です。
「まだ小さい会社やけど、これから伸びると思うで」
渡辺それではまず、もっとも社歴の長い齋藤さんからお願いします。
齋藤そうですねえ。なにからお話ししましょうか(笑)
渡辺長く勤めていらっしゃるので、逆に、簡単には語れないですよね(笑)
それでは、齋藤さんがサラヤに入社した頃のお話を聞かせていただきますか?
齋藤サラヤに入ったのは1984年ですから、今から30年以上も昔ですね。入社前は専門学校でデザインを学んでいました。
3年間通って卒業となった時、就職先をどうするかでけっこう悩んだんですよ。それで、進路担当の先生に相談したところ、「サラヤって日用品メーカーがあるんやけど。齋藤君、どう?」と薦めてくださったんです。「まだ小さい会社やけど、これから伸びると思うで」と。
渡辺おお。先見の明のある先生がいらっしゃったんですね。
齋藤ほんとうにそう感じます。当時はデザイン事務所への就職も検討していましたが、先生の助言をきっかけに、「メーカーも選択肢のひとつだな」と考えるようになったんですよ。
齋藤それから面接を受けて、無事にサラヤに入社。希望どおり、デザインを担当する部署に配属されました。
「デザイン」といっても、現在のそれとは趣がだいぶ違いましてね。当時はパソコンが大変な高級品で、おいそれと使えるものではなかったんですよ(笑)。
ですから、基本的には手作業でラベルやポスターを制作していましたね。――30年前というのは、そんな時代でした。
世のため人のために汗をかきたかった。
渡辺パソコン普及前のデザインについてのお話、非常に興味深いです。もっと掘り下げたいところですが......。また機会を改めて伺わせてください。
それでは、2番目に社歴の長い平田さんに、「これまで」をお聞かせいただきたいと思います。
インタビューの前にも伺いましたが、大学在籍時から、現在の業務に繋がる研究をされていたそうですね。
平田はい。ヤシノミ洗剤とは直接の関わりはありませんが、「生物が生み出す界面活性剤」というテーマで研究をしておりました。
渡辺在学中に知見を深め、そして卒業後に、サラヤに入社されたのですね。
平田そうですね。――そのまま研究を続けて、真理を追求していくことも考えました。しかし、「自分の知識をもとに、より使いやすい洗剤をつくって、人々の生活を豊かにしたい」という気持ちのほうが強かったんですよ。
平田だからメーカーに就職したんです。なんだか、こう言うと立派に聞こえますけど、当時はそこまで深くは考えてはなかったです(笑)
とにかく、「世のため人のために汗をかきたかった」という感じですかね。
環境問題に取り組んでいる会社で働きたいと思った。
渡辺平田さん、ありがとうございました。「世のため人のために汗をかきたい」、とても素晴らしい理念だと感じます。
お次は濱口さんですね。サラヤに就職される前は、印刷会社にお勤めだったそうですが。
濱口ええ。印刷会社で、アートディレクターをしていました。具体的には、取引先から依頼を受け、カレンダーやカタログ、店頭のポップなどを制作していましたね。
渡辺まさに印刷物のプロフェッショナルですね。ところで、業界で考えると、けっこう畑が違うようですが、なぜサラヤに転職しようと考えたのですか?
濱口印刷会社って、紙を大量に扱うじゃないですか。そこから環境問題に関心を抱くようになって......。なので、「次に働く会社は、環境問題に取り組んでいるところにしよう」と思ったんです。
それでね。転職中に新聞を読んでたら、「サラヤ株式会社、グラフィックデザイナー募集」といった感じの求人が載ってまして。「これだ!」と感じてすぐに応募したんですよ。
サラヤは知らなかったけど、「ヤシノミ」は知っていた。
渡辺濱口さん、ありがとうございました。齋藤さんもそうでしたが、まるで導かれるようにサラヤに入社されたのですね。
さて、廣岡さんも中途入社とのことですが、前職はどういう仕事をされていたのですか?
廣岡サラヤの前はですね、広告代理店で働いていました。やりがいはありましたけど、心身ともに疲れ果ててしまって......(笑)
渡辺いろいろと伝わってきました(笑)。それで転職活動をはじめられたわけですね。サラヤに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?
廣岡それがまったくの偶然で、求人誌を読んでいる時に、「ヤシノミ洗剤のサラヤです」というような求人を見かけたんですよ。
当時、サラヤは知りませんでしたが、ヤシノミ洗剤は知っていました。求人情報を眺めているうちに、なんとなくおもしろそうだなと思って応募してみた。――これが経緯といえば経緯ですね。
渡辺なるほど。皆さんのお話を聞いていると、なにか見えない力にたぐり寄せられているような、そんな気がしてきますね。
どう打ち出していくかで、ずいぶんと悩みました。
渡辺広告やブランディングのプロから見て、ヤシノミ洗剤とはどういう「商品」ですか? 魅力がたくさんあるので、様々な切り口がありそうに思えますが。
廣岡広告の観点からすると、ヤシノミ洗剤は非常に難しい商品ですね。処方をほとんど変えないので、「洗浄力が上がりました」とか、「新しい香りがでました」などとアピールできないんですよ。
渡辺あっ、たしかに! 処方が変わってないということは、リニューアルをしていないということですもんね。
廣岡ええ。今でこそ、「変わらないこと」が最大の魅力だと思っていますが、昔はどう打ち出すかでずいぶんと悩みましたね。
「つくりかた」は変わっていない。
濱口そうそう、廣岡さんの話で思い出したんだけどね。30周年記念の際に、「今も昔も変わらぬ処方」というコピーを考案して、当時の社長に見せたんですよ。
そしたら、「なんで30年も変えてないねん」とツッコミを受けまして(笑)
一同(笑)
濱口平田さん。念のための確認なんですけど、処方ってほとんど変わってないですよね?
平田ええ、ほぼ変わってないですよ。
齋藤パッケージとかキャッチコピーは細かく手直しをしているけど、「つくりかた」は変わってないんですよね。
平田そうですね。――ヤシノミ洗剤の処方についてですが、いつ見ても「よく出来てるな」と感心します。洗浄力と、環境への配慮とのバランスが、非常に優れているんですよ。
渡辺なるほど。ちょっと変な質問になりますが、これまでに、処方の変更を試みたことはありますか?
平田うーん。「こういう処方にしたらどうだろう」と想像したりはしますね。でも、どれもしっくりきません。どうしてもバランスが崩れてしまうんですよ。
どうすれば「本質」が伝わるのだろう?
渡辺先ほど、30周年記念についての逸話がありましたが、これまでのご経験のなかで、特に印象に残っているイベントやキャンペーンはありますか?
廣岡『アルプスの少女ハイジ』とのタイアップとか、多摩川の「タマちゃん」に関連したイベントとか......とにかくあれこれとやってきましたね。
そのなかでも、とりわけ「サラヤらしかった」と感じる企画が、「ボルネオ調査隊」です。
渡辺ボルネオといいますと、ヤシノミ洗剤の原料を調達している、ボルネオ島のことですよね。どんな企画だったのでしょうか?
廣岡ごく簡単に説明すると、ヤシノミ洗剤を愛用してくださっているお客様を、ボルネオに招待するというキャンペーンです。9年間も続いた名物企画なんですよ。
濱口飛行機の手配とかも自分たちでやってましたよね。
廣岡そうでしたね。昔は関西空港からの直行便があったんですけど、途中で廃線になっちゃって、別のルートを考えたりして。
渡辺ずいぶんと本格的といいますか、大掛かりなキャンペーンのように思えますが......どういう経緯ではじまったのでしょうか?
廣岡社内で販促企画を検討している時に「エコグッズを配布するのはどうか?」というアイデアが出たんですよ。
たしかにそれは真っ当な手段ですけど、ちょっとストレート過ぎかもなと感じたんです。悪く言えば、ありきたりですよね。
廣岡「サラヤは、環境に配慮している会社なんだ」
エコグッズをプレゼントすれば、お客様にこう思っていただけるかもしれません。しかし、サラヤとしては、その「一歩先」を目指す必要があると考えました。
「この洗剤を使えば、海や川の汚染が抑えられる」ということだけではなく、その一歩先......。たとえば、原料がどこで調達されているかなど、そんなことについても、真剣に考えていくべきだと感じたんです。
廣岡どうすればお客様に「本質」が伝わるかと知恵を絞った結果、誕生したキャンペーンが、ボルネオ調査隊です。
「環境を意識してヤシノミ洗剤を選んでくださっているお客様なら、きっと、ボルネオの自然にも関心を持っていただけるだろう」。そう信じながら企画を進めていきました。
渡辺詳しくありがとうございます。僕はヤシノミ洗剤を7年近く使っていますが、たとえばお皿を洗っている時に「ボルネオってどんなところなんだろう」と思いを馳せることはあります。
あと、たまたま読んだ雑誌でボルネオが特集されていて、「あっ、ヤシノミ洗剤の故郷だ!」と思ったりします。
ちなみに、ボルネオ調査隊は9年間も続いたそうですが、どのくらいの反応があったのでしょうか?
廣岡だいたいになりますが、1回につき、700件近くの応募がありました。それも、ほとんどのお客様が、ハガキにびっしりとヤシノミ洗剤やボルネオへの思いを書いてくださってて......。じっくりと読ませていただきましたが、やはり、胸に響くものがありましたね。
国際情勢の変化やコロナウイルスの影響などで、現在は中断してますが、状況が改善されれば再開したいと考えています。